働けない自分が、“働ける”に変わるまで 第4回:「変える」のは怖かったけど、変えてよかった

合う場所探し

【シリーズ】働けない自分が、“働ける”に変わるまで(全7回)

「頑張っても仕事ができない」——そんな悩みを抱えていた私が、“働ける私”になるまでの7年間を、正直に綴りました。環境選びや工夫、自己開示、そして再挑戦まで。同じように悩む誰かのヒントになれば嬉しいです。

同じ職場、違う仕事。

それだけで、世界がまったく違って見えました。

“看護師を手放す”という決断は簡単ではなかったけれど、看護補助者として働きはじめた私は、ようやく「自分らしく働く」感覚を取り戻していきました。


「看護補助者」という新しい道

私は看護師としての勤務が難しくなった後、同じ病棟内で「看護補助者」として働くことになりました。

当時は正直なところ、「元看護師なのに補助?」「キャリアを後退させたような気がする」という葛藤もありました。

でも、実際に働いてみて思ったのは、

「仕事内容が自分に合っている」って、こんなに心がラクなんだ

ということでした。


向いていないのは、「仕事」じゃなくて「やり方」だったのかもしれない

看護補助者としての業務は、予測がつきやすく、マニュアル化されているものが多いです。
たとえば、

  • 入浴の介助
  • 検査の送迎
  • 物品の洗浄・補充
  • ナースコール対応(担当看護師が出られない時にできることは対応して、必要に応じて担当看護師に報告)
  • 看護師に頼まれた業務(指示に基づいた行動が中心)

など、「自分の役割が明確で、決まった手順で動ける仕事」が中心でした。

しかも、急な指示や臨機応変な対応が求められる場面は、看護師よりずっと少ない。

もちろん責任の重さや判断の難しさも異なりますが、「自分でもできる」実感が持てる仕事だったのです。


褒められることで、自信が回復していった

仕事ができるようになると、自然と周囲の対応も変わっていきました。

「いつも先回りして動いてくれるから、助かってる」
「仕事をテキパキしてくれて、頼みやすいし、一緒に働きやすい」

そんな言葉をかけられる機会が少しずつ増えていき、「私って、役に立てるんだ」という感覚が戻ってきました。

不思議なことに、自分に合う仕事だと努力が“報われる”サイクルが回るんです。

  • できることが増える
  • 周りに感謝される
  • もっと頑張ろうと思える
  • 自信がつく

この好循環は、看護師時代にはほとんど感じられなかったものでした。


「職種を変える=逃げ」じゃなかった

看護師を辞めたことに、後悔がないわけではありません。

でも、あのまま無理を続けていたら、私はきっと今よりもっと「働くこと」が怖くなっていたと思います。

あのとき自分に必要だったのは、「耐えること」じゃなく「変える勇気」だったんです。

“合わない仕事”を手放すことは、恥ずかしいことじゃない。

むしろ、自分らしく働くための第一歩だった。

今ではそう、心から思えます。


次回予告

第5回:「もう一度看護師として働きたい」と思えた理由

やがて私は、補助者としての経験を重ねる中で、「もう一度、看護師として働いてみたい」と思えるようになりました。

自信とエネルギーを少しずつ取り戻した私が、再挑戦を決意するまでの道のりを綴ります。


【シリーズ】働けない自分が、“働ける”に変わるまで(全7回)

「頑張っても仕事ができない」——そんな悩みを抱えていた私が、“働ける私”になるまでの7年間を、正直に綴りました。環境選びや工夫、自己開示、そして再挑戦まで。同じように悩む誰かのヒントになれば嬉しいです。

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