私を変えた一週間 ―対話と自己理解の記録― 第3回:言葉にすると、自分が見えてきた

自分を知る

▶ シリーズ:私を変えた一週間 ―対話と自己理解の記録―

不登校、引きこもり、迷いの中にいた私が、一週間のキャンプで得た“変化のきっかけ”を綴ります。

ワークキャンプ中に何度も設けられていたのが、1対1で向き合って“本音で話す”という時間でした。

特にテーマはなく、「今、話したいこと」「聞いてほしいこと」をただゆっくり、順番に語り合うだけ。

最初は緊張していたけれど、次第に少しずつ、自分の気持ちを言葉にできるようになっていきました。

少しずつ言語化できるようになってきた「心の内」

私はこれまで、「自分のことを話す」のが得意ではありませんでした。

誰かに心の内を見せるのが怖くて、黙っていたほうが楽だったから。

でも、ワークキャンプで向き合った人たちは、ただ静かに、まっすぐに私の話を聞いてくれました。

遮らず、急かさず、評価もせず——そのままの言葉を、ちゃんと受け止めてくれる人がいる。

その安心感のなかで、私は少しずつ、自分の本当の気持ちを話すことができるようになっていきました。

「どうして私は学校に行けなくなったんだろう?」

色んな人と対話していたとき、よく質問されたことがありました。

「どうして学校に行けなくなったの?」「なんかきっかけってあったの?」

それは、ずっと心の中にあった問いでしたが、明確な答えは出ていませんでした。

対話を重ねるうちに、その答えのようなものが少しずつ見えてきました。

「勉強ができる=自分の価値」だった

私は、小さい頃から「勉強ができる子」として扱われてきました。

人間関係がうまくいかなくても、成績さえ良ければ認められる——そんな風に思っていたし、実際それが唯一の“自分の価値”でした。

でも、高校に入ってから周囲のレベルが一気に上がり、「上には上がいる」と感じた瞬間、自分の中で何かが崩れました。

勉強でも勝てない、人付き合いもうまくいかない、努力しても追いつけない。

そう感じたとき、自分には何も残らないような気がして、足が止まってしまったのかもしれません。

発達障害や精神疾患を「免罪符」にしようとしていた私

また、もうひとつ気づいたことがありました。

私は、自分が「発達障害だから仕方ない」「精神疾患があるから生きづらいんだ」と、どこかで割り切ろうとしていたことです。

人とうまく関われないことも、気分の波があることも、「発達障害だから」「精神疾患だから」と自分に言い聞かせる。

そのことで、少し安心しようとしていたのだと思います。

でも、対話を通して思ったのは、「発達障害・精神疾患であること」は理由になっても、すべての免罪符にはならないということでした。

私は本当は、人ともっと関わりたいし、伝えたいことだってたくさんありました。

そしてそれは、「自分が変わる勇気と行動力があれば叶えられる望みだ」と、気づくきっかけになりました。

本当は、「人とつながりたい」と思っていた

実は私は、ずっと「人付き合いが苦手」「人と関わるのが怖い」と思って生きてきました。

だけどその一方で、漫画やアニメの「友情」や「仲間」に心から惹かれてきたことも、事実でした。

その理由を、ワークキャンプの代表の方との対話の中で、教えてもらったのです。

「それって、本当は“信頼できる関係”を求めてる証拠なんじゃない?」

自分では気づいていなかったけれど、私はずっと「信頼できる人とつながりたい」と思っていた。

その願いが、「作品への興味」という形で強く反映されていたのだと、そこで初めて理解しました。

言葉にすることで、自分の深層に触れていく

この日々の中で、私は「話すたびに、自分を知っていく」感覚を何度も味わいました。

頭の中ではごちゃごちゃしていたことも、口に出して誰かに聞いてもらうことで、はっきりと輪郭を持つようになる。

そして、それが「自己理解」へとつながっていったのです。


次回予告

第4回:「今日は無理かも」からの一歩

——メンタルが沈み、起きられなかった朝。

「今日は休みたい」と伝えた私に、スタッフがかけてくれた言葉は、今の私を支える“行動の原点”になっています。


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