働けない自分が、“働ける”に変わるまで 第3回:適応できない仕事で、自分が壊れていった

合う場所探し

「私って、社会不適合者なのかな」

そんな言葉が頭をよぎったときには、もう限界を超えていました。

頑張ってもできない仕事の中で、心も体も少しずつ壊れていった――

今回は、私が“看護師をいったん手放す”決断に至った経緯をお話しします。


できないことだらけの手術室で、心がすり減っていった

私は新卒で手術室に配属されました。

自分なりに努力を重ねましたが、「臨機応変な対応」「瞬時の判断」「複数のタスクを同時にこなす」といった要素がどうしても苦手で、何度も注意されては落ち込み、自信をなくしていきました。

家ではマニュアルを読み返し、ノートにまとめ、手術の流れを復習しても、次の日にはまた違う手術、また違う医師、また違うイレギュラー。

頑張っても、追いつけない

そんな日々が続き、私は次第に、
「この仕事に、自分は向いていないのかもしれない」
と思うようになりました。


「適応障害」と診断されて、ようやく立ち止まれた

やがて体にも変化が出はじめました。

眠れない、食欲がない、涙が止まらない、通勤がつらい。

それでも私は「自分のせいだ」と思い込んで、無理を続けていました。

そんなとき、通院していた精神科で、主治医にこう言われました。

精神科医
精神科医

「適応障害」で診断書書くから、1回ちゃんと休んだらいいよ

その言葉を聞いて、私はようやく、自分の限界を認めることができました。

そして初めて、少しだけホッとしたのを覚えています。


病棟に異動して復帰したけれど…

休職ののち、私は病棟勤務へと異動し、看護師として復帰することになりました。

「今度こそ頑張らなきゃ」「迷惑をかけたぶん、ちゃんと働こう」

そう思っていたけれど——現実はやっぱり厳しいものでした。

病棟もまた、マルチタスクと臨機応変の連続。

常に予定外の出来事が起こり、優先順位を瞬時に判断しながら動く毎日。

手術室と同じように、いや、それ以上に「自分の苦手」が表に出てしまう現場でした。

努力しても、周囲との“差”は埋まらず、また自信を失っていきました。


自分を守るために、看護師を“いったん手放す”という選択

その後、再び体調を崩し、私は看護師としての継続が難しいと判断しました。

それはとても悔しい決断でした。

でも、「できない自分」を責め続けながら働くより、「自分に合う形で、もう一度働く方法を探したい」——そう思ったんです。

だから私は、看護師という職種を“いったん手放す”決断をしました。

これは“逃げ”ではなく、“立て直すための戦略”だったのだと、今では思っています。


次回予告

第4回:「変える」のは怖かったけど、変えてよかった

“向いていない仕事”をやめて、私は看護補助者という新しい働き方を選びました。

仕事内容が変わるだけで、心の余裕や自信は驚くほど変わったのです。

「自分に合う環境」と出会えたことで、やっと“働ける私”に近づけた実感。

次回は、その変化のきっかけをお話しします。


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