「私って、社会不適合者なのかな」
そんな言葉が頭をよぎったときには、もう限界を超えていました。
頑張ってもできない仕事の中で、心も体も少しずつ壊れていった――
今回は、私が“看護師をいったん手放す”決断に至った経緯をお話しします。
できないことだらけの手術室で、心がすり減っていった
私は新卒で手術室に配属されました。
自分なりに努力を重ねましたが、「臨機応変な対応」「瞬時の判断」「複数のタスクを同時にこなす」といった要素がどうしても苦手で、何度も注意されては落ち込み、自信をなくしていきました。
家ではマニュアルを読み返し、ノートにまとめ、手術の流れを復習しても、次の日にはまた違う手術、また違う医師、また違うイレギュラー。
頑張っても、追いつけない。
そんな日々が続き、私は次第に、
「この仕事に、自分は向いていないのかもしれない」
と思うようになりました。
「適応障害」と診断されて、ようやく立ち止まれた
やがて体にも変化が出はじめました。
眠れない、食欲がない、涙が止まらない、通勤がつらい。
それでも私は「自分のせいだ」と思い込んで、無理を続けていました。
そんなとき、通院していた精神科で、主治医にこう言われました。

「適応障害」で診断書書くから、1回ちゃんと休んだらいいよ
その言葉を聞いて、私はようやく、自分の限界を認めることができました。
そして初めて、少しだけホッとしたのを覚えています。
病棟に異動して復帰したけれど…
休職ののち、私は病棟勤務へと異動し、看護師として復帰することになりました。
「今度こそ頑張らなきゃ」「迷惑をかけたぶん、ちゃんと働こう」
そう思っていたけれど——現実はやっぱり厳しいものでした。
病棟もまた、マルチタスクと臨機応変の連続。
常に予定外の出来事が起こり、優先順位を瞬時に判断しながら動く毎日。
手術室と同じように、いや、それ以上に「自分の苦手」が表に出てしまう現場でした。
努力しても、周囲との“差”は埋まらず、また自信を失っていきました。
自分を守るために、看護師を“いったん手放す”という選択
その後、再び体調を崩し、私は看護師としての継続が難しいと判断しました。
それはとても悔しい決断でした。
でも、「できない自分」を責め続けながら働くより、「自分に合う形で、もう一度働く方法を探したい」——そう思ったんです。
だから私は、看護師という職種を“いったん手放す”決断をしました。
これは“逃げ”ではなく、“立て直すための戦略”だったのだと、今では思っています。
次回予告
第4回:「変える」のは怖かったけど、変えてよかった
“向いていない仕事”をやめて、私は看護補助者という新しい働き方を選びました。
仕事内容が変わるだけで、心の余裕や自信は驚くほど変わったのです。
「自分に合う環境」と出会えたことで、やっと“働ける私”に近づけた実感。
次回は、その変化のきっかけをお話しします。
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