「頑張っても仕事ができない」
——そんな悩みを抱えていた私が、“働ける私”になるまでの7年間を、正直に綴りました。
環境を選び直したこと、苦手に対する工夫、周囲との関わり方、そして再挑戦の決意まで。
「合わない場所で苦しみ続けるのではなく、合う形で働く」という視点から、ヒントになるような体験談をお届けします。
- 第1回:努力すれば何とかなる。そう思っていた
学生時代のアルバイトや新卒時の配属希望には、自分なりの根拠がありました。「決められたことを丁寧にこなすのは得意」という自覚があった私が、なぜうまくいかなくなったのか。その始まりをたどる回です。 - 第2回:思ってたより、ずっと「できなかった」
新卒で配属された手術室では、何をするにも周囲とズレてしまい、気がつけば「できない人」として扱われるようになっていました。できることを一生懸命やっているのに、結果につながらない苦しさを綴っています。 - 第3回:適応できない仕事で、自分が壊れていった
「3年は耐えるべき」「すぐに辞めるのは甘え」そんな思い込みに縛られていた私は、自分の限界を超えても頑張り続けてしまいました。心身ともに追い詰められた経験と、初めての休職に至るまでの経緯を振り返ります。 - 第4回:「変える」のは怖かったけど、変えてよかった
配属変更や職種転換は、「逃げ」と受け取られがちです。でも本当に必要なのは、「自分に合った環境を選び直す勇気」だったと今は思います。看護補助者としての仕事を通じて得た安心感と変化の第一歩について書きました。 - 第5回:「もう一度看護師として働きたい」と思えた理由
看護補助者として働く中で、「仕事ができない」と思っていた私が、「仕事ができる人」として認識されるようになりました。苦手を避けたことで、自信が育っていった過程と、「再挑戦してもいい」と思えた心の変化を綴っています。 - 第6回:ハードルを下げる工夫は、自分を守る手段だった
看護師として再挑戦するにあたり、「新人と同じレベルで教育してほしい」と自ら伝えた私。その裏にあったのは、自分を守るための覚悟でした。苦手を抱えながら働くために必要な「工夫」と「自己開示」についてお話しします。 - 第7回:“働ける私”は、こうしてつくられた
私は特別すごい人間ではありません。でも「自分に合う形で関わる」ことを選んだからこそ、“働ける私”になることができました。できることを、できるやり方でやっていく——その実感を込めて、最後にメッセージを贈ります。
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